子供の声の上げ方ひとつにも、その子が将来どういう大人になるかが感じとられる。人間は各々が種であって、種であるじぶんから逃れてまったくべつの者になることはできない。 いやな子だと感じたら、ぼくのそのときの気分が原因ではなくて、その子の人間としての本性そのものに原因がある。 この子らがおおきくなっても、ろくな人間社会にはならない。個々の人間にこそ望みがある。石炭からダイヤモンドを探すようなものだ。 

 

 

ソドムとゴモラにかぎらず、いつの世だって、少数のダイヤモンドのために、おおくの者たちは大目にみられているのだ。おまえたちの運や力や、ましてや徳のためではない。それに気づいて、日頃じぶんたちが罪をかさねている、尊い魂の少数のひとびとに、死ぬほどの懺悔と感謝をささげよ。