2017年。いちばん基本的・核心的なことを言っている時期であり、時期的にも中心的な時期である気がする。

 

テーマ:

 

たいていの人間は自己と向き合う器量などないから、表面的なところでごまかし、人生を戯画化して、そのぶん高慢で軽薄独尊なのである。スピリチュアリストも学問者もそうですよ。この世はそういう者たちであふれかえり、そういう者たちで運営されている。 そういうことを、沈黙の世界で反省しています。 

 

目覚めている者は、そういう輪のなかには入らないけれども、この世に生きているあいだは合わせるふりをしていなければならない。 次元のちがう やむをえないごまかしがあり、実体は隠れて生きている。 そういうことをもね。

 

言っておくが、謙虚を知っているのは そういう「目覚めている者」だよ。

 

 

優しさというものは、したがって、幾重にも思慮と意志の積み重なったものであり、かつ、まったく率直に純粋な心情でもあります。優しさそのもののこの両極をじぶんのなかに持っているひと、それがぼくの感じる裕美ちゃんだよね。     

 

 

 

 

信仰がなければ美は造れない。とくに音楽は。音楽の源泉は魂そのものでしかないから。  

 

 

 

ぼくにとって創造とは、「生」に出会いつつこの「生」を出現させることである。 いわゆる自由表現をぼくは創造とは見做さない。