じぶんをどう正当化するかに、人間の品格があらわれる。これが、語るに落ちる、ということである。

 

 

ほんとうの人間は、生活感とは無縁な美の境に在る。これを受けとめることが、覚醒である。 幾びとが受けとめられるだろうか、と敢然とぼくは言う。とくに日本において。 みんな、じぶんが追われている生活感を肯定したがり、かえす刀で、美に命を懸けている他者を斬ることばかりかんがえているではないか。美術にたずさわる者まで、さいごはこれだ。日本の恥と知れ。 

 

こういう開き直った弱さ、つまり魂への暴力の横行によって、日本では、ほんとうに、人間の真実が感じられ難くなっている。

 

 

では、生活苦のどん底に喘いだ高田博厚の絢爛たる美の世界を観るがよい。これこそ日本人だ。

 

 

 

 

 

付言

本音でもない、大衆におもねる演劇芸術はやめたがよい。

 すみません、需要があるからですね。