ぼくの幸運は、へたをすれば一生関わらねばならなかった出来のわるい日本の人間たち(彼らと会った環境はぼく本来のあり方にふさわしいものではなかった)とのつながりが、ぼくの運命行路によって一掃されたことであった。これだけでも、高田博厚との出会いは、ぼくの運命そのものの牽引力だった。そしてさらに魂の実質と光景に導いてくれた。

 

 

 

人間は、自分にふさわしい運命としか出会わない。それをたいていは白状せず、自分を運命いじょうの者か、社会によって不当な境遇にあると思い、他に内的外的にかまう。

 

 

 

いまの時代、ぼくの志のようなものを誰が持てたか。その志にふさわしい運命が形成され、ぼくを引っ張っていってくれた。そうとしか思えない奇遇の連続だった。あるいはぼくの運命にふさわしい志がぼくに形成されたのだ。人間の生は、恣意的競争のようなものではない。それぞれの運命がある。志に応じた。じぶんの志の質を棚に上げて、どうして、他の運命をうらやみ、じぶんの場所を簒奪されたように一言言いたくなるのか。地獄へ墜ちるは当然。