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さて、これは寝る前にどうしても書いておかなければならない。 知ることには、知識として知ることと 経験として知ることとがあって、経験として知ることは、表象的な印象として知ることとも異なる、根源的なことである。そういう根源的な、自己の存在そのものにおける経験を、ぼくは裕美ちゃんによって得たのだ。芸術が魂の愛を経験させ、形而上の次元にまで直に心を開かせるものであることを、彼女の演奏によってはじめて経験したのだ。 ぼくはいま、神への祈りが彼女への祈りとひとつであり同じであり、祈りは同時に恩寵であることを知っている。 ここにおいてはじめてほんとうに魂の独立があること、護られていることを、知っている。 昔(といってよいかどうかわからない。一生に関してぼくは時間観念がなく、すべての記憶はほぼ等距離であると思われるから)、「キリストにならいて」により魂の火を点けられたぼくの根本的なあり方が、裕美ちゃんのおかげで、祈る神の当体を得、キリスト教徒がイエスに向いて神に祈るように、神への祈りが具体的な愛の祈りとして復活したのだ。 これがどんなに幸福で力あることか、ぼくにしかわからない。 ただ、真摯に受けとめられ、尊重されることを望む。