デカルトが、この世は夢ではないかと思い、この世を否定したことと、メーヌ・ド・ビランがこの世を身体の習慣から再構成したこととは、同じ思惟する自我を原理として見いだした哲学の表裏である。

 一方、あるがままの世界はあまりに魅力的なので、このままの世界を形而上的に是認したいという衝動は、愛の哲学とともに存続している。

 ぼくが寝る前にいま一度PCを立ち上げてこれを書いたのは、むろん、デカルトやメーヌ・ド・ビランの世界反省も、無視すべきではないという、不意の気づきからである。ありのままを拒否する認識形成は、この世から自由にするからである。それに気づいた。