ヤスパースも述べており、これは彼の率直さと、ごまかされない誠実さ、偉大さの証であるが、実存的な者は、人間の位階に敏感になることを、彼は肯定した。普遍妥当的と称されるものよりも、深いもの、真実なもの、真理そのものであるものが、人間にはあるのである。 そういう意識感覚そのものを、じぶんはそれがあるつもりの者たちもふくめて、いまの世は忘れてしまっている。 そういう意味で、現在を批判する者たちも、批判される者たちと、たいしてちがわない次元にいる。 

 

 

 

勉強は、深化のための媒介である、その勉強は、古典の勉強でなくてはならない。 軽薄な世を記憶ともども忘れさせるものである。