学界から卒業するまでは、ほんとうの学問はできない。日本の学者こそ、学問の雰囲気ではないからである。 いまこそ、カントでもキルケゴールでも、じぶんのために勉強しよう。これはほんらい、精神的に純粋な楽しみのようなものなのだ。