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命題一

人間精神には永遠の「無限への憧憬」があり、人間として「生きて」いるかぎりこれを鎮めることは不可能である。この無限は実質に充ちたものであって、実現されることを欲する「イデア」である。それは愛である。 諦念や悟りというものは、このいみで最も間違ったものである。




命題二

此の世が善の摂理を持っているという思い込みは、人間精神の内なるイデアの、主観による外界への投影にほかならない。生物界のどこに善の摂理が働いているか。人間の使命は、此の世を自分の内なるイデアに適うよう創り変えることである。この仕事は霊界に赴いてこそ本格的となるようなものであって、此の世での仕事に納まるようなものではとうていない。いまは霊界そのものが堕落しているのだ。




命題三

神は、粗野で本能的な、この世の法則に適合する者になど、真理を告げはしない。けっしてぜったいに。ぼくはそれを確信するに至った。ほとんどの大抵の者は、「人間」から時々引用するが、けっして「人間」にならぬ、「人間」をいつでも裏切る、それなのに自分を人間と思っている、得体の知れぬ生き物である。その得体の知れぬものを「エゴイスト」と ぼくは呼ぶ。けがらわしい。騙そうとする悪魔は徹底的に存在する。







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『 人生が人生の中だけで為し得るものすべてと、人生が人生の中だけでは為し得ないものすべてを、なにものにも優(ま)してまず示してくれる人生と、人生が為し得ないのは「なぜ」であるかを、気付かせることをおそらく知っている、一つの言葉。
     ――シャルル・デュ・ボス――   』


名言ですね。名言をこえた名言でしょう。 絶作の彫刻が示すのと同じ質量がある。なんとしてもミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」の陰翳が浮かび迫ってくる。高田先生が最後の自叙伝「分水嶺」の最初に刻している言葉です。いく度も掲げる度に新鮮です。〔この、正確無比の、陰翳にくるいのない言葉。言葉が彫刻となることもあるのだ。なんという定義力。「形」と、それが醸し それを囲む「もの」との、比例均衡を知っている。〕

力を抜いた途端に自分とともに大先生が蘇ってきた。この節はそうして書いたものです。

ただ、もうひとりではない。愛するきみがいる。きみという現実のひとが、ぼくのなかには。