ひじょうに明証的に直観し了解できると思うことは、現在、西洋人は、かつて他国民にとってきた態度を、本質同根的に自国民にたいして振るっている、ということである。これは審判されるべきものによる審判というべきものである。 

 

かつて他国民にたいしてとってきた態度がどういうものであるか、いかに野蛮で非人間的なものであったか、唱える人間性が理論に偏ったものであったか、学んでもらっている、といえる。 前年以上にぼくは情報に触れる習慣がなくなったが。なぜなら、外的には有益なのであろう情報も、すこしも内的精神性を涵養するものではないと、これだけ経験すればぼくも懲りるほど解ったから。

 

 

 

付け加えて言うが、みずからの誠実さに欺かれてはならない。それに気づいてこそほんとうの誠実さである。 理念的誠実さは欺くものだ。いつまでもそれに固着してはほんとうの誠実さを失う。誠実にも二律背反がある。