不良の根源が恣意であり、恣意で動くのがワルなら、ぼくだってそうとうのワルだ。しかもかなり手に負えない。 押さえておかなければならないのは、普段道徳的な人間ほど、同時に恣意的であり、瞬時にワルになるということだ。道徳的意志は、ワルの意志と同様に、つまり同質的に、根無しの恣意の応用にほかならないのだから。 

 

ぼくはどちらの意志も克服しているつもりだが、この克服は消滅させているということではない。恣意を飼い馴らしているのだ、より深い根源から。