ぼくは、内的縁の無い隣人の落とした物をじぶんの手で拾って渡してやるような気のない人間だ。中途半端な拾い方をすることこそ他律的で偽善的だ。それで一度、嫌な記憶をつくったことがあり、折に触れて思いだし、反省・吟味してきた。それでも、そのゆえにじぶんを無価値だとは思わない。ぼくはぼくでじぶんのため、世のなかのためにやることがある。まさにそのために、自己保護のためのぼくの神経質を、肯定する。 この信念は、神の法(そういうものがあるとして)よりも強い。 ぼくは、あまりに日常的な隣人愛を否定しても、ぼくの志に忠実である。 神の意志がどうあろうとも、ぼくにはぼくの感ずるところがある。 嫌われてもいい。 その隣人には、すまない失礼なことをしたと思い、真剣に懺悔するけれども(これは相手が気づいたかどうかとは関係ないことだ)。