初再呈示 

いま意味のある文章を再録 

 

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書物は、時期尚早に読むと、はなもちならない者になる。読む時宜に読むと、じぶんの魂と親密になる導き手になる。 

 

 

日常で、合理と感情はいつも対立する。感情を選ぶのが信仰というものだ。 

 

人生は、立ちどまるものである。

 

 

 

彫った、受難後のイエスを抱くマリア像が若すぎるという声に、ミケランジェロは、貞節な女性は若さを長く保つものだと応えた。ここからぼくのかんがえだが、貞節とは、魂に忠実であるということだ。魂に目醒めた者には、青春期間はとても長い。魂には、人の一生くらいではとてもたりない。魂が生成することこそ、偉大な人間の生であり、「人の一生」を超越してゆくのである。こうして「神」がわかる。 

 

 

自分の想像するように人生はゆかない。障碍とみえることを、踏み台とする感覚を覚えるしかない。 

 

 

 

風雨に耐えたものは堅固な土台になるとぼくは信じたい。ここに「意志」の陶冶の意味がある。 

 

 

ぼくがどうしてここまで安定してきたかは、じぶんでまだ充分に反省吟味していない。ぼくにはあまり必要ではないと感じるから。ぼくはじぶんの感覚を生きればよい。それしかやっていない。ぼくはじぶんのやりたいことをやる。じぶんの魂に忠実でいる。それがすべてである。 

 

 

書物を読む時宜とは、読む状況になったときであり、読む精神状態になったときである。それは個の歴史と本質に応じてちがう。読むべきものは読むし、読まないのは必要ないからである。これは自分の本質に忠実に生きている場合であって、だれでもが、価値ある自分の本質を意識しているのではない。多読家がしばしば無節操な自己統合喪失であり、まともな良識も形成されていない所以である。解らないから、意味に気づかないから、読めている。 

 

 

生きることそのものが戦いだ。日常生活でじぶんの欲することをやれている者、実現できている者は いかなる修行者にも勝る。

 

 

書いているとき、不意にスイッチが入って きみのピアノが聞こえてきた。聴いていて、きみのほうが示現流より堂々として逞しいと覚えた。

 

 おかえりなさい   

 

 

 

いいことだからやろう、より、じぶんの本質にとどまっていたほうがよい。 

 意識が生む人為性の点で、「欲」と「義務」は、似たところ、同一と言ってよいところがある。動物にはなく人間にのみあるところのものがある。陥穽である。この二つは連動しており、生活を落ち着かなくさせる。 

 

自分の本質に腰を据えた義務感でなくてはならない。