ぼくには優しさというものが解らない。配慮というものなら解る。配慮は思慮深さ、つまり哲学的思惟から生まれる。 

 それから、人間には威厳が必要だ。威厳は哲学的思惟から生まれる。

 配慮も威厳も、哲学的思惟にもとづくのである。 優しさというものは、正体が解らないもののようにぼくには思われる。明確な観念を形成することができない。優しさは時に無思慮で、時に優柔不断で、時に独断的である。自分を理解していない者につきまとう外観である。 他者にとって都合がよいだけで、それ自体は何の徳でもないというより、「それ自体」が不在である。