マルセルの戯曲を訳したら、メーヌ・ド・ビランの「哲学の防衛」を訳してみよう。あれがぼくの博士論文「メーヌ・ド・ビランにおける哲学と宗教」に対応するものとしてはいちばんいい。ここにいたってメーヌ・ド・ビランを振り返る気になっているのはほとんど意外だ。あの哲学にはすんなり入っていけるものがある。デカルトとパスカルの統合である。  

 

 

じつは、ぼくには、メーヌ・ド・ビランを軸として哲学することがいちばん合っている。 反対者の記憶が無い。 清潔な空気が吸える。

 

ぼくにとってメーヌ・ド・ビランは、そこで勉強したフランス・パリの、日本的雑念の無い、純粋な空間のなかにある。 ぼくはフランス・パリで、どんなにしあわせだったかをいま思う。その空間そのものに孤独があった。 

 

 

哲学をやったのはよかった。落ち着いていて飽きることがない。思惟による永遠への沈潜である。 

 

 

 

 

 

 

(なにを研究するにしても、日本の学者には関わらないのがいい。純粋に研究する空気が損なわれる。日本人の一般は、精神の基本がなっていないのだ。)