百姓は…の言葉だが、民衆は、国民は、の意味だ。変わっていないどころか、普遍的な統治命題だ。国民が主役の国家など統治者は望んでいない。国民が食に充ちて幸福で健康で強壮になれば、不安なのは統治者だ。だから、そうでなくしておくのは、統治の原則。力弱く、不幸で、反抗の余力を無くしておく。服従し、施しを与えられ、感謝し、国家のシンボルを崇拝するようにしておく。貢ぎ、崇拝のあまり、兵として戦うだけの体力は残しておく。ちくしょう、うまくできてやがらあ。幕藩体制の連続で、すこしも変わっていない(なにが明治以前が天国なものか)ことが、いま実証されているのにほかならない。政治家を信じるなよ。 どんなにしたってあの連中が、渡りに船のワクチン政策を手放すものか。 そして、国民の機嫌をとるときは、下心があるのだ、ヒトラーみたいにね。

 

 

 

だけど忘れずに覚えておくがよい、国民を酷く扱った政治家には、酷い最後が待っていることを。これも統治の原則だ。国破れて民あり。