ぼくは、幸福な者の味方である。いまでは、こう言っても、意外な気のする者のほうがすくないだろう。というのは、幸福な者をつかまえては、その片言節句にねらいをさだめて、あなたが幸福なのはただ恵まれているからだと、おそれ入らせようと構えている、さもしい心根の者たちで、この世はあふれすぎているからである。だから、ぼくも、幸福な者をこそねぎらいたいのである。いつもたいへんだね、そういうさもしい者たちにかこまれて、なにも落ち度がないのに、幸福だというだけで、より正確には、そうみえる面だけ外に知られて、咎められているのに耐えて生きているあなたたちには、よりいっそう幸福が増し加えられることこそ、天の正義だとおもうよ、と勇気づけてやりたい気持で、ぼくはいっぱいなのだ。 咎める者たちはますます地獄に落ちて、その日頃の行状がいけないものだから、同情する人々も、ますますいなくなるでしょう、と付け加えながら。こう言うと、ますます攻撃してくる、これが偽善者の本性なのだ。精神的に自立していない者が、よくもまあ他者に一方的に あれこれ言えるものだねえ、と、おどろくよ。そういう者たちへの怒りは、ぼくのなかに、宇宙を一万回爆発させるほど蓄積しているんだ。これでもおだやかに言ってるんだよ。 

 その本性を記憶のなかで認識するほど、怒りはますます増幅してくる。けっして消えやしない。 屋根から落ちるくらいではなまやさしすぎる。 じぶんの狭い了見でしかものをみれずにそれがすべてだと思っている偽善家・片輪者どもめらが!