他人がいれば 悪魔は要らない。 

 

 

 

学のある他人も学のない他人も魔物だ。 学は人間の実体とは何の関係も無い。学者は馬鹿だ。 精神主義者も馬鹿だ。 芸術家気取りも馬鹿だ。 

 

 

 

だがここに、ぼくという本物の人間もいる。 本物の人間は少数いる。 そうでなければ、ぼくも、たとえじぶんが本物の人間であっても、このことを確認できない。

 

 

 

ぼくは、自分を整えて生きることに余念がない。 それはあらゆる世間形式から脱して生きることだ。 新年も正月もない。時間やカレンダーは虚である。 ただ誕生日は、自分の本源を、自分がこの世に生まれたときの天体的位置に共応して想起するという意味がある。おたんじょうびおめでとうと言うためにあるのではない。

 

 

 

みんながぼくのように立派な人間であるのではないということを忘れないようにしよう。ぼくの怒りはその単純な忘却から生じている。 

 

(ぼくのような人間に触れる機会を持った者はそれだけで大幸福者だ。こういう言表はぼくの価値と矛盾することは知っているが、ある瞬間においては真実だ。)