なぜなら、神が全知でなければ、集合容喙現象は起らないから。神は、この全知によって、全能である。そうでなければ、集合容喙現象は起らない。
この神は、高田博厚の「神」ではない。善か悪かは知らない。たぶん両方だろう。
こういう存在に、どういう態度をとったらよいのだろうか。「人間」がその「神」にたいする(面する)態度ではない。「人間の投影としての神」のような純粋なものではない。
こういう神であるが、無意味な存在ではないだろう。「神」とは別の意味で、関わる神でありそうだ。
ぼくはこの神に、この世界をどうにかしてほしいのだ。人間が創造的な路を歩んでいないならば。