人間の心はそれほど容易に解るものではない。すべては当人の教養の深さにかかっている。そうであるのに、感覚や直感で解るみたいに安易に言うことにはぼくは反対だ。そういうことを容易に認めると、山師的なスピリチュアル系がのぼせ上がることをやめない。 

 

きちんとした哲学を練ることが必要だ。そのことをこの欄でぼくは繰りかえし注意している。 安易はかならず高慢の罪に陥る、と。

 

 

 

(ここでぼくが、「哲学が必要」と言うとき、学問立った哲学をしていない者は大言するな、というようなことを言っているのでは勿論ない。かんがえるということをどれだけ緻密に詰めてきた蓄積があるか、ということを言っているのだ。そういう蓄積なしに直感で裁断できるほど簡単にはこの世と人間の問題はできていない、ということなのだ。)