子のために親はじぶんの命を犠牲にする、これは動物の本能。われわれはここに人間においても倣うべき愛の原型をみるべきであろうか。聖書のキリストが、友のために自分の命を犠牲にするほど大きな愛はない、と言っていても (ぼくも窮極的にはそのような愛のかたちがあることを認めるが)、人間の愛は、普通は、自分を生かしてこそ他者の、社会の、役に立つようなものであるべきだと思う。日常において自分のために必要だと判断することは、さしつかえないかぎり、自分のために為すこと、このことをかるがるしく譲らなくてよい。何でもどういうときでも他者を先にせよというのは、かえって、他を思って穴二つの結果になることを、きょう、経験した。

 

人間の愛は、通常は、自分本位であってよいのである。これこそ自重(自らを重んじる)であり、日常の心構えとすべきことである。ぼくも、調子がすこし良かったり、優しくなっているときには、この反対の態度に、かるがるしく自分を譲ってしまう。それで案外後悔する結果になることが多い。日本人で、とくに伝統的なひとは、どういうときでも他者を先にすることを厳格な格率にして、他にもそれを厳しく教えることがあるようなので、それを記憶しているぼくは、つい、足を取られることがある。それを、ここに自戒として書いたのである。