人間はいったい自分が何様なので、他者のことをあれこれ言えるのだろう。自分のことがいちばん解らない人間が、どうして他の人間のことを判断するのだろう。この矛盾は基本的なことであるが、くりかえし思ってみる価値のあることだと、ぼくは思う。この矛盾を口にすることはできても、みずからにおいて気をつけ、慎むことのできるひとは、多分、数えるほどしかいない。こういう人間が、神から滅ぼされるとしても、あまり抗弁できないような気がする。旧約「ソドムとゴモラ」の記述のように、心掛けの優れた少数のひとびとの存在のおかげで、かろうじて、人類は、存続を許されているのではないか、と思う。だから、社会全体にたいして何か大きなことはできなくとも、自分自身の内で直接にできるような、自分への気づきや良い心掛けは、おもいのほか、全体のためになることなのかもしれない。いま、自分の内面を忘れさせる外部の状況であるが、これを忘れることこそ人間の危機ではないかと意識しておくことは、大事なことであるように思える。