初再呈示 

昨年の3月だが、まだ元気だな。 

 

テーマ:

 

ぼくはじぶんの好き嫌いについて、それはぼく個人の主観的なものであるかのように、周囲から観念的に云いくるめられてきた。ここで「観念的」と言うのも、いまこそ、そう言えるほど正体を看破してきているからである。そしてそれに応じて、ぼくの好き嫌いには存在論的な根拠があることに、いまこそ理解できる「存在論的」という表現を用いて、気づいている。ぼくの「在りかた」が根源的に正しいものであることをだんだん理解してきたので、ぼくの好き嫌いが、根源的・存在論的な理由のあるものであることも、分かってきたのである。「在りかた」が正しいと、感覚や感情も叡智化し、真理を告知するようになる。むしろ理性よりも直接に、結論を先取的に示すようになるのである。このような感性の叡智化は、勿論、人間のなかでも深い素質をもち、本質的なものに注意する意識生活を続けてきた者にのみ、達せられているものである。

 

ぼくの好き嫌いには存在論的な根拠がある。だからぼくはじぶんの好き嫌いをなるべく意識して表明することにしている。ほかの多くの者たちの好き嫌いとは異なる本質があるのだ。それを確信するには、長い年月がかかった。はじめからじぶんの好き嫌いが他者にとっても自明であるかのような態度をとる幼稚で未分化な者たちとは、ぼくは精神の経路が逆なのだ。そこを判別できない者は、ぼくを前にして恥ずかしい思いをすることになる。