そう思うことにした。不愉快は罰とかなんとかいうものではなく、ひとつの不当であり、ゆえにただ報われるべきものである。ぼくにおいては、あるいはぼくと同類のひとにおいては である。

 

 

 これは直感的に、すごく説得力のある思いである。ぼくは善なのだから。