ぼくの神は、ぼくを愛してくださるゆえ、ぼくの名誉を愛してくださる。だからぼくを侮辱する者をけっして愛さず、懲罰してくださる。ぼくの信ずる神はそういう神である。 民族ではなく個人を相手にしてくださる旧約の神のような神だ。 

 

このようなぼくの神観はぼくの恣意によるのではない。長い時間をかけて発酵し熟成し、結晶したものだ。ぼくの人間としての実体が本物であるゆえ、ぼくのこの神観も真実で肯定するしかないものである。偽善的な世のなかの神仏観ではない。 

 

 

マルローのレンブラント観を読んだ。たいへん立派な理解だ。そうしたら上のことを書きたい情念が生じ、ぼくの神観をそのまま書いた。なぜだろうか。ぼくの神観と融合するものがあるのだ。教義を経ない人間の直接な神感覚であり、有象無象などを愛するどころでなく、審判し懲罰する神なのだ。ぼくのような魂の内的名誉のために真に怒って行動してくださる神である。