自分のもともとの純粋本質を自分自身からも救い取ること、それが自己への信仰であり、これをどの個人もみなやっている。 それを自他において肯定しなければならない。この世を支配する悪魔の側に就くのでなければ。 

 

純粋さを救うとはそういうことである。百パーセント雑念のない者というのは、人間が意識をもつ存在であるかぎり、多分いないであろうから。 

 

悪魔の示唆に惑わされず、とるにたらない雑念であると本人が気づいておればよい。それはかえって人間的充全さの証拠であるくらいに思っておればよい。 本人が自分の本質から目を逸らしてはならない。

 

 

 

一元的になるほど、かえってどうでもよいことにこそ迷うようになる。意識をもつ人間の宿命であろう。