他人のことなんて、いまさら力をこめて書きたくないが、日本人はじぶんの人生について無責任ではないかな。だから他者さまにも無責任で配慮の欠いたもの言いを平気でするのだ。いまどき〈非国民〉などという廃語が平気で使われているのがほんとうなら、まさに、じぶんの人生にも無責任な国民気質を証拠だてるものだ。ぼくがここで言っている責任性は、社会生活上のものではなく、内面的な責任性だ。自己を問い深めることと同義だ。哲学的な責任性なのだ。およそ日本人ほど、この意味での自分に無責任な心性傾向をもつ民族はいないだろう、とぼくは思う。お上に従順というのではないのだ。ものごとをいいかげんにかんがえ、行なう、これが問題のワクチン接種でも為されたにすぎない(結果、接種率G7中トップという不名誉なことになった)。

 

ワクチンという名称だけ同じに呼ばれている得体の知れない新薬を信じて接種する者は、まともな良識をもっている者にはひとりもいない、とぼくは今年になって書いたが、そういうまともな良識をもった日本人は圧倒的に僅かしかいない、という結果が示された。だから無謀な大東亜戦争も、殆どの国民は、皆でやるのだから賛成としたのだ。戦争の見通しをかんがえた上ではない。徴兵されたら仕方ないな、くらい。無私の境地ではなく無責任なのだ。気づけよ、国の政治家だけが無責任で無展望だったのではない、ということを。 

 

 

このくらいにしよう。自分がそのために生きていることをしなくちゃ。