ほんとうの怒りの理由はほかにあって、この怒りは蓄積されたマグマだ。このマグマはどういうきっかけでもよいから、時々噴出してガス抜きする必要がある。このことを自分で理解しているかぎり、八つ当たりの怒りも生理的に善用されているのだ。本人が自分を理解しているから。 

 

 

とはいえ、世のなかにはそうとう激しいガス抜き現象もあるはずで、事件になったりしているのではないか。直接的な原因と見做されているものとは別に、ほんとうの原因があるだろう。いまのめちゃくちゃな官民の方策には、だれでもマグマが充満してあたりまえだ。小規模で済んでいるほうがおどろきだ。質のよくない官民の方策を百八十度転換することが、なによりの特効薬だ。規制強化の口実になる反撥も、もともとは健全なものである。社会のほうが幾重にもわるすぎる。こういうことはぼくも生まれてはじめてだ。

 

 

ぼくは、つまらん人間は何人死のうとよいと思う。ただぼくの命の価値判別基準は、魂主義である。いわゆる世の役に立つということとはちがう。世に隠れている無名の善き魂を護るために、天使がソドムとゴモラを一律に焼き滅ぼしたやり方を模範にするわけにはゆかない。それでも、天使が、魂主義の立場から、魂に反した者たちを滅ぼした姿勢には同意する。十把一絡げ的ではあるが、審判である。現代なら、人間の自由を剥奪する新秩序をもくろむ無教養な支配層を、ピンポイントで始末してほしい。