ぼくは、勉強なんて絶対必要だとも思わないから、怠け者なのだろうか。 国が、国に役立つ(すごく広い意味で)人材をつくるために、勉強が絶対の道徳であるかのように、学校で教えてきたにすぎない。 かんがえない者はそれを鵜吞みにする。先生がそう言った、とか言って。「先生」という語はそれじたいが権威強制の呪文である。

 

勉強は自由な行為である。したい者がすればよいだけのことだ。生きてゆくために知っておかなければならないことは、義務教育で教えることがすべてであるべきだ。あれは、大人が子供に教える義務があるのだ。それいじょうは、子供の自由である。高校になったら、勉強は自由なのである。それを、中学校と同様に制服など着させて、勉強が道徳みたいな詭弁観念をすり込み始める。その時、違和感に気づかなければならないのだ。ぼくはあきらかに気づいたと、いまからみても思っている。真面目とは、言われたとおり勉強することではない。人間とは、自分とは、何かを、かんがえつづけることなのだ。それを怠ける者こそほんとうの怠け者なのだ。それを解さないのは、けっきょく人間を解さない者だ。