ぼくの記憶すなわち心のなかに、ぼくの魂に無礼を為した者として留まっている者は、けっして幸福になれていない、と、確かめずに信じることが、ぼくにはできる。 ぼくの魂は、他と比べるまでもなく、それ自体で宇宙の頂点にある価値をもっていることは明証だからだ。 そういう価値あるぼくの魂に無礼だった者が、幸福であるわけはない。そしてぼく自身、そういう者の幸福を欲さず、その者の罰を欲するから。「最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、けっしてそこから出ることはできない。」 これは、正しい慈悲の教えである。幸福に価する者しか幸福ではなく、しかも、徹底的に懺悔し尽くし生まれ変わるならゆるされる、としているのだから。 

 

 

 

あなたの怒りも、あなたの使命のためにあなたを強くする意味があるのではなくって? 

 

 

そう思うしかないよね。面と向って相手を殺すこともできない者に、大業は無理だと思う。ぼくの使命の一面はどういうものかが、そこからも示唆されている。