あいつらも分かってるんだなあ。でなけりゃ、得体の知れないばけものだ。最長期政権で拉致被害者ひとり取り返せないで、弁当だけみてくださいなんて ひどすぎるからな。

 薬(ワクチン)で健康な国民がいくら死のうが、責任を感じない精神で、拉致問題など解決できるものか。同じ国民じゃないか。救える命を国の都合で救わない。これが政治だ。

 

 


衛生観念はどこへ行った  社会なるものへの懐疑 


衛生観念が意識的に発達しておらず、症状もない低学年児童に、マスクをつけさせないほうがよい。マスクを触ったり手に持って道路や地面を這って遊んだり、みているだけで反衛生的で、どうかと思う。意味がない。子供は家畜ではない。

地べたを這わせたマスクを、皆がしているからと、再び口や鼻につけさせるのか。悪質ないじめでしかやらないことだ。

あんなことをさせていて、いまさら衛生観念をどう教えるというのか。 無発症者も時場所をかまわず一日中一律マスクという発想自体が、医学者が推奨してはいけない非常識で無意味な反衛生的発想であり、為政者たちがやっているのは意図的パフォーマンスにすぎない。それに倣っている市民たちもどうかしている。 
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上は実際に近所で散歩の際みた光景だが、パソコンの動画では、ヨーロッパのどこの光景か知らないが、機動隊姿の警官たちが、路上のマスクをつけていない一般市民を警棒で殴っているのをみた。 わたしは、生まれてから、公共のことには協力的であったが、今回の公共的要請は、市民のためのものではないようだ。市民の協力姿勢を、市民を縛るために逆手にとった。もともとそうだったのではないか。公共性は市民への福利のためではない。一握りの支配層のためのものなのだ。今回、社会の常軌を逸した動きから、社会の深層が一挙に吹き出たのを経験して、それがよくわかった。(動画の外国の光景は、それをはっきりたしかめさせた。)

社会とはおそろしいものであり人間を騙すということ、それは国民を平気で戦争に駆り出してきた歴史から、解っていなければならないことであったが、偽りの平和の時期がつづき、理解が観念化していた。ふふたたび、いま、満腔の実感をもってこの理解が生まれてはじめて甦った。

2030年までには、全世界で、市民のすべての自由を奪う計画だそうだ。国連は世界政府の場となる。共産主義の亡霊の復活である、という話まである。

後代の歴史家は、「それはマスクからはじまった」 と言うだろう。

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※ ちなみに、今月6日公開のインタビュー動画で、元ファイザー社副社長 マイケル・イードン博士は、「このワクチンは安全ではありません。若い人たちは、COVID-19の影響を受けません。もしウイルスに感染したとしても、通常は症状が出ず、簡単に切り抜けてしまいます。ですから、彼らにはリスクはありません。それなのに、ウイルスそのものよりも、実際には50倍も死に至る可能性が高いものを使って、若い人にワクチンを接種するのは狂気の沙汰です。子供はウイルスよりもCOVIDワクチンで死亡する可能性が50倍高いのです。」と語っている。遂に、証言すべき人物が語った。これを私はあなたがたに伝えるために、みずから動画の字幕から書き写した。無駄にしないように。