ぼくが完璧な人間だったら、人間としての深化にひじょうに欠ける人間だっただろう。作用にたいする反作用を経験する隙がないだろうから。

 これが、なぜぼくはこんなに不完全なのだろうと訝しく思うことへの、解答らしく感ぜられる気づきである。

 

そして大事なことはここでも、じぶんをそのまま受け入れ肯定することである。どれほどの者たちが、じぶんを受け入れられなかったり、まさに肯定することそのことによって悪鬼になったりすることだろう。

 バランスのとれた人間らしい人間になる者は僅かしかいない。