《 西欧現代絵画がひたすら絵画次元の自律性の確立に専念したとすれば、日本版画なる浮世絵は、「浮世の絵」(l'art-des-choses-qui-passent)として、「過ぎゆくものを画面に定着する」ことによって(世界の)「本質」を捉えようとする点(L'Intemporel, 二二四)、ここでも作品外の超越者への関わりの有無に「相違」をみなければならないが、しかしそれ以上に印象的なのは、やはり、異質文明・異質芸術との出会いと、自己の伝統への反省、それによる新しい発展――という批判的かつ創造的な対話、そしてその対話が「恣意性への権利」という、あの超克の思想をめぐって展開しているということであろう。》 

 

 

中田光雄『諸文明の対話 マルロー美術論研究』「西欧と日本」より(206頁)

 

 

説明するまでもなく、著者の引用した一文が表わしているように、過ぎゆく瞬間の印象を画布に定着させようとするマネや印象派の制作態度を、表現手法としての恣意性の承認とともに後押しするものと捉えられた、浮世絵版画と、芸術そのものの自律性を目指した当時の西欧絵画の運動との、鋭い接触点があきらかにされているので、記した。