子供も、無心なようでも、無心であるゆえに、口を利くようになると罪を重ねはじめる。その罪のために苦しみ、罪を償うようになればまだしも、罪に気づかず罰せられもしないまま一生を終える人間になるくらいなら、いまワクチンで死んだほうがよいかもしれない。
ぼくは子供にたいしても厳しい。人間の尊厳のためである。子供には甘くするのであれば、人間として大人になった甲斐がない。ぼくは子供との間に壁をつくる。人間を護るためである。
子供は罪びとのはじまり。人間の一生は、生涯をかけて子供の頃の罪を償うことである。それがわかってくるのが、人間となるということである。罪は、逃げようとしてもついてくる。
ぼくは、子供の会話をきいているだけでいやになる。そこに人間の悪の原型がすべて出ている。いじめも、おとなの世界の反映であるだけでなく、無拘束な人間の本性から生じるものである。
(子供の言動をみていると、悪魔の世界に組み込まれていることが解る。)
従来のワクチンと全く性格が異なり、名称だけ同じにすぎない現在使われている薬の作用で苦しむ者が多くなるだろうが、苦しみを知ることは、人間となるためには、むしろ恩寵と言えるかもしれない。健康で無反省な者が、戦争も起こすのだ。
ぼくは、さまざまなことを世に警告するために思惟する使命をもっていることに、日々気づく。
経験は、じぶんの思惟反省で我有化することによって、ありがたいものに変わる。これがほんとうの感謝である。すべての努力は、じぶんを一貫させる(ぶれさせない)ためのものである。