じぶんの行為と感情を意味的に否定しているから、相手をも責める、という場合がある。

 

じぶんの行為と感情を意味的に肯定していれば、相手を責めることもない、という場合がある。

 

 

じぶんを責めずに肯定できていることは大きなことである。じぶんの「理」を感じて承認していることだから。 

 

 この肯定に、人生のおおきな時間がかかるのは、受けた教育のためである。