ぼくはいま、表面は冷静にみえても、数年に一度あるかないくらい怒っている。コップを置いた受け皿を割ったなどという類は、十年か数十年に一度だろう。そのほか何年も普段しなかったことをやっている。こういうときは なるにまかせるしかない。 じぶんの怒りの状態を肯定している。あたりまえだから。

 

 

世のなかが幾重にもわるい。そのうえ人間がなっていない。 

 

 

 

蓄積して地層のように固まっている怒りに、火がつくのは容易い。

 

こうやって、観念ではなく現実への怒りから起こる戦争もあるのだ。 市民の自発戦争。 

 

国は、そうならないうちに市民の怒りの原因を解かなくてはならない。