なあるほどねえ…

 

なにが? 

 

「先生」なんて呼ばせるのは、代表的な洗脳だよ。学校っていうのはね、教師のためにあるんだよ。教師がいなければ解らない教科書をわざとつくり(よく出来た教科書なら、教師は要らないことを、フランス語独学の際、よく解った)、生徒を進学させようとするのも、学校から何処どこの大学に何人受かったというような、学校の社会的評価の維持向上のためであり、すなわち、教師たち自身の評価を上げるためであり、毫も、生徒を思ってのことじゃないんだ。生徒に、教師を「先生」なんて呼ばせちゃいけない。従えということなんだよ、制服を着させるのもね。 いや、それにしても洗脳から脱するのも、一生の課題のひとつだね。あんな連中を、わらわせちゃいけない。なるほど、ぜんぶあいつら自身のためだったんだ。ただの赤の他人なのに、うまくできた仕組みだよ。そういう仕組みを仕組みとして解って、はじめて、同じつくられた土俵の上で苦しまなくなるんだ。土俵そのものを上から見下ろすようになってね。 まあ、この世はほんとにうまくできてる。