初再呈示 

 

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ぼくは、他がぼくに 不適当なことを言うと、表面には表わさないが、ひじょうに怒り、その者を深く静かに呪い殺そうとする念が起こる。これはぼくが恨み深いとかいう性格の問題ではなく、じっさい、怒るのが当然であるような聖なるものをぼくが自分に持っているからである。ほかの多くの人間、聖とはかかわりなく生きていて、適当に言われても分相応な人間たちとはちがって、ぼくに不適当なことを言うと、聖なるものを損なうことになることを、ぼくはいつも感じているので、言った者を殺す権利を覚えるほどの怒りが生じるのである。そして、ぼくの場合この感情は正当であることを直接に確信する。この確信はぼくの直接的信仰に属するほどのものなので、現実においても何らかの結果が生じるものだとぼくは確信している。この確信があるかぎり、ぼくの良心は平安なのである。ぼくは「良心」と言う。聖なるものを損なう言動は罰せられるべきだと思うのは、良心の感覚であると思うからである。

 この確信はずいぶん落ち着いたものになってきた。自分への確信が自然なものとしてぼくのうちに定着してきたからである。 言っておくが、ぼくは罰するために生きているのではない。自分の聖なるもの、すなわち自分の魂を生きるために生きている。そういうぼくへの無礼は、命をもって償うものであると、自然な感覚で思い、確信しているのみである。