幸せには邪魔が入る、とは、よく云われるようだが、心配は要らない。なぜかというと、この世の創造者そのものが、そういうふうに仕組んでいるからであり、これに気づくようになったのは、集合容喙現象の経験の賜である。そして、「運命」(le destin)と「摂理」(la providence)は異なるものであることが、解るようになった。「神」が創造者と異なるように。 

 

 

「摂理」は、「芸術」がそうであるように、「反-運命」であり、「神」のものである。