滞欧中に、ドイツからフランスに居住を移す決断をして、荷物を先ずフランスに送り、それから渡仏して、新住居で荷物を待っていた時期、荷物が無事か、念のため問い合わせた。電話で窓口に出た日本人が、ぼくの要件を聞くと、さもぼくが、客はぼくひとりであるかのような問い合わせだと勝手に思い込んだらしく、〈客はあなただけではない〉、と、この通りの言葉で、露骨に言い返すのには驚いた。その前に身辺事情を話して、荷物の無事を確認する問い合わせだ、と言った際に、〈ああ、そういう事情がおありなんですねえ〉、と応じた上で、ぼくをなだめるように、〈客はあなただけではない〉、と向こうは言ったのである。よけいなお世話である。ぼくは、じぶんの人生がかかっている大事な勉強道具の荷物だから、念のため問い合わせたのだ。それを、そういう場合でも、じぶんのことだけかんがえるな、と諭す口調で、赤の他人様に、しかもお客にたいして言う。こういうのを、ヨーロッパで仕事しても甲斐ない日本人と云うのだ。ちょうどいま、そういう論法が、日本を吹き荒れているようだ。じぶんの一生より、その時々の周囲のことを気に懸けよ、と。まあ、人間として狂ってるね。あるいは確信犯だ。こういう自己否定文化が日本文化なら、性根を直さなくては文化比較もなにもない。 

 

 

こういう類の言動(勿論日本本国においても経験する)にたいする怒りは、一生忘れるものではない。みな、そうだと思う。なぜやめられないのか。自己否定は徳だとする意識が、転じて、他者への容喙になっている。同調圧力のメカニズムである。