Descartesの情念論の態度そのものだが、あらゆる情念(感情)は、精神が統御しうるかぎり、良きものであり、そのようなものとして活かせばよいのである。毫も否定する必要はない。 

 

ぼくは一度も、感情そのものを否定したり拒否しようとしたりしたことはない。対象(他者)から影響を受けることを拒否するのみ。ぼくの怒りの感情はエネルギーとなることを、ぼくはとうに知っている。そのままを活かせばよい。 

 

 

この精神による統御の意識に目覚めないで言葉を発する者には、人間はその言葉に応じた報いを受ける、という、ブッダの教えが適合する。ブッダは人間の位階に応じた理の説き方をした。Descartesのような人間にたいしては、もっと別の態度でなければならないことを、知っていただろう。