拒否する力の奥に静かに在るものは、無視する力であると、ぼくは思う。だから、この力を「無視する力」と呼ぶほうが、より本質に迫った呼称になると思う。それは、自分を内的に充実したあり方で想起するとき、おのずと生じている力である。なんだかだ論証して拒否するより、論証なしで主観的感覚で無視するほうが根源的である。