マルローのように、世界のなかでの日本文化の意味を問うことにぼくは反対なのではない。日本人がこの問いに取りかかると、小学生の作文程度のものになる、その現実に、ぼくは反対なのである。探求の持続を緻密なものにする人間意識のレベルに、日本人が達していないその現実に、ぼくは、「小学生レベル」と言って憚らないほど、全然信頼していないのである。