なにか他のことに注意が向いて、さっきまで在ったのに手放してしまったひとつの現前、つまり忘れた記憶は、無になったのか、それとも記憶として保存されているのか。記憶として在るから失望するな、心配するな、とじぶんに言い聞かせることができる、と信じることが、前に踏み出して生きることの条件なのだ。これを「反復」 (Wiederholung)と言う。人間の本性は何と弱く、かつ、強靭であることか。生きるとは、「反復」を生きることである。
反復があるなら、永遠もまた在る。 これが忠実・信仰ということである。