日本の大学での記憶で、教授の驕慢というのがある。学内での発言権というのは、それはあるだろう。その権利・資格にたいする教授自身の態度が問題なのである。慎んで慎重であってこそ重みというもの、力というものがある。それを、学生などが臨席している団欒の場で、〈俺が言ってやるよ〉、〈私が言ってやったのに〉、などと、慎み無く口にする。そういうことが記憶に残っているのである。教授の驕慢というものは、日本の大学での職業病とも言うべきものだとぼくは思っている。勉強をしてきただけの人間ではないか。それが、学内での風紀等の方針の調整のような、人間の良識がものを言う問題場で、責任ある発言の資格を認められているからこそ、謙虚に重々しい自覚を保持していることが求められる、とぼくは思う。その点、日本の教授は、人間としての自覚がまだまだ甘い。そういう文化風土だからということは、教授クラスの人間になると、言い訳にならない。
これは、ぼくがかなりあたためてきた一言である。
そのくらいにしとかないと。
そのほかのつまらないものも引っ掛かるからね。