なにか原理を信じればよい。宗教のであれ、スピリチュアリズムのであれ。 じぶんが小物なのはよいさ。どうしてそんなに他に教えたがる。 謙虚な修道士みたいなひとは稀にいるがね。 そのほかは何だ、天下をとったみたいに、これが原理だ、原理だと。これを信じなさいだと。 いいかい、それがほんとうに真理かどうかが問題なんじゃない。 きみらは、それでじぶんに嘘をついているんだ。人間の路を歩かないで、はじめから天使のように見下ろす立場を得ようとしている。しかもきみらは羽が生えているんじゃない。地面が見えるだけの人間でしかないんだ。 人間の言葉はね、天使のふりをしても生じない。 きみらの言葉には全然力がない。 人間の本質である「歴史性」を培っていないからだよ。 はじめから普遍真理を得ようとしている、得たつもりでいる。 ところが、天使ではない人間は、「歴史性」という険しい難儀な右往左往、試行錯誤を積み重ねなければ、本物になれないようにできている。普遍を得ないようにできている。 誠実とは、この定めを感じて受け入れることだ。 ぼくの欄は、人間としてやむにやまれぬこの誠実だけでできていることを、気づくだろう。 きみらのような容易い途は信じないんだよ。それがぼくの嗅覚だな。 

 

自分らしい本心と力仕事と反省の蓄積からのみ、説得力は生じる。