日本人は思想をもっていない。思想とおもえるのは、情緒や感情が無責任にしゃべり散らしている言葉であり、そういう言葉によって増幅された情緒・感情である。かくて、どういう外国の画策に乗せられたにせよ、陸と海の戦争に単純に突進して行ったのは、まことに日本的な必然であった。これが国民一般から指令層までの民度であった。この民度は現在でも健在であり、日本の日常生活を支配している。 

 

 

もすこし書くことがあったのだが、夜中で忘れてしまったのでここまで。 

 

そう、日本は、言葉をもてあそぶ無思想な感情の専制国家なのである。 

 

薩摩の軍人がしっかりしていた頃には、それなりの合理的分析に基づいた国策があった。その後は国策そのものが合理性を忘れた単純感情になってしまった(甘い感情で国民一般がそれを支持したからである。反省のブレーキを持たず勝ちを重ねることはこわいことだ。もうひとつ、人間の個的魂の価値に目覚めさせない日本の国体の責任があった)。