「自分に忠実だったら一生孤独であってよい」という先生の言葉を、先生を知っているほどのひとなら、知らないはずはないだろう。ひとの孤独を尊重するし、じぶんの孤独も尊重してもらいたい。そうであるならば、ぼくもあまり杞憂にすぎることがあってはならない。人間は沈黙し合っていても理解し合っているものと信じたい。じぶんの沈黙が非礼ではなかったかと思い煩う者は、相手の沈黙も非礼として受けとめる。そういうことはどちらもやめたほうがよい。じぶんを信頼し、相手を信頼する。案外、この不文律は広くゆきわたっているかも知れぬ。 

 非礼という強迫観念は、自他ともにやめたがよい。もっと人間は素直に自分であろうと努めているものだ。そのあり方まで他は知る必要はないし、できない。 

 

 

人間を決めるのは、自分になっているかどうかだ。敢えて言うが、礼(人間の抑圧装置になっている)ではない。