高田博厚の彫刻も、素描も良い、と思うように再びなった。落ち着いてきたのである。 

 

在るということは、時間から解脱することである。 

(苦の本性は時間である。)

 

 

 

かれの作品にも落ち着きと内容がある。こちらが落ち着いていないとき、それは解らない。 自分らしい状態というのは、たいへんなことなのだ。