他者のための祈りとして、これがいちばん正しいし、納得するのではないか。他者の幸せを祈るとは、何が幸せかを反省すれば、他者が真理に目覚めることを祈ることにほかならない、と解る。哲学的に、他者を愛するとは、これであることを、ぼくもこの欄で言ってきた。ここでの「真理」は、他者に押しつけようとする自分の主張とは違う。自分が生きている真理と確信するものに、他者も意識が開かれることを、祈っているのである。これが、他者嫌いとならないで他者を受容しうる唯一の途だとぼくは思う。